NMEは、みんなの夢の集合場所!

貝野のっけからではありますが……飯島さん、「しんかい6500」のパイロット(船長)就任おめでとうございます!
※座談会の約2ヶ月前に、飯島さんは有人潜水探査船のパイロットに昇格しました

飯島ありがとうございます。 夢が叶いました!

伊東いつ頃からの夢だったんですか?

飯島中学生の頃ですね。 テレビで深海特集をしていて、そこに出てきた深海魚を見て「ホントにこんな生き物いるの? 見に行って確かめなくちゃ!」と。 直接現場に見にいくには「しんかい6500」に乗るしかないと、大学では海洋学部に進学し、NMEだけを狙って就活に備えました。 それなのに、私の年は運航要員の募集がなくて。

伊東え、それはショックですね……。

飯島諦められず、1年就職浪人をしたんです。 でもその1年で視野が広がり、海洋調査の仕事には他にも色々と面白いものがあると知りました。 観測技術員の仕事もその一つ。 ちょうどNMEの社員の方から「観測技術員の募集ならあるよ。 どう?」と言ってもらっていたことから、「よし、やろう!」と入社しました。 2年後に運航要員の募集があり、希望して異動の末、訓練生から6年かけてパイロットになりました。

伊東少しずつチャンスを掴んで、目標まで進んできて、すごいですね。

貝野伊東さんだって大学時代に資格を取って、ちゃんと自分の目指す航海士になっているじゃないですか。

伊東いや、でもね、海洋大学に入ったのもなんとなくで。 生物は好きだったけど、仕事にするほどではないし。 ただ、バイクだとか、車だとか、乗り物だけは大好きで。 その延長線上で、船の操縦も面白そう! と航海士を目指してみました。 単純な理由です(笑)。 調査船の会社にしたのは、輸送船や貨物船みたいに同じルートの運航がないから。 調査に合わせて毎回航路が変わるのって、楽しそうだと思ったんです。 貝野さんはなんでNMEに?

貝野私はそもそも自然が好きで、高校生の頃になると「外国にあるような雄大な自然を自分で見る手段とは……?」という発想で将来の仕事を考えていました。 で、「船乗りだ!」と思ったので、船乗りになれるような大学を選びました。

飯島貝野さんが航海士ではなく、機関士を選んだのはなぜなんですか?

貝野あぁ、それは自分の性格を鑑みて……(笑)。 航海士は、表に立って航海を進める仕事。 機関士は逆に、船のエンジンを整備する縁の下の力持ち。 物理的にも船底あたりにいますよね(笑)。 私はどちらかといえば内向的なので、機関士の方が合っているなと思いました。 商船系じゃなくて調査船のNMEに来たのは、海が「通過点」なのか「目的地」なのかの違いです。 「大自然への欲求」が就職の原点なので、「目的地」が良かったんです!

お互いの活躍が、
何より嬉しい刺激になる。

伊東みなさん入社してから今までで一番印象に残っていることって何ですか?

貝野「よこすか」乗船時に初の女性スイマーとして、海面に浮上している潜水船につながった吊上げ索や主索を外したりするスイマー作業の経験はかなり印象に残っています。

飯島ああ! あれは私も船の上から直接見ていて興奮しました! 写真何枚も撮っちゃった(笑)。 あれ難しいんですよね。 波のタイミングに合わせて、プカプカ浮いている「しんかい6500」の上にヒョイっと飛び乗らないといけなくて。 でも貝野さん、初めてとは思えないほど軽々とした身のこなしで、一発で決めていて。 まるでイルカみたいでした!

貝野あはは(笑)。 でも足びれをつけながらジャンプして飛び乗るって、確かに難易度高かったです。

伊東すごいですよ。 決して「女性なのにすごい」って言いたいわけじゃなくて。 単純に、身長が高い方が飛び乗るのに有利で、男性の方がやりやすい。 それを貝野さんが見事に決めたという噂は私にまで流れてきました。 すっごいなぁ〜と思いました。

貝野ありがとうございます。 でもスイマー作業を無事にやりきるまで、バディや準備段階でもいろんな人に助けてもらいました。 お互いに助け合いながらいろんなことに挑戦させてくれるのがNMEのいいところですよね。 伊東さんは何が印象に残っていますか?

伊東4年目の時、岩手県宮古市の子どもたちを体験乗船で船に乗せたことがありました。 子どもたちに、調査船の仕事を説明して、この調査で何がわかるのかなどを知ってもらうとみんな目を輝かせて食いついてきてくれて。 あの時初めて自分の仕事の価値がわかった気がしたなぁ。

貝野それまではちがったんですか?

伊東いや正直、入社して3年くらいはあまりにも必死すぎて、記憶がない(笑)。 それに船を動かすことに集中していて、自分の仕事が何に繋がっているかなんてあまり考えていませんでした。 でも子どもたちに喜んでもらって以来、自分の仕事がちょっとでも良い調査や研究に繋がるように、工夫できることはないかと考えるようになりました。

飯島いい話。 やっぱり子どもたちに「すごい!」って言ってもらえる仕事の一端を担っているって、やりがいですよね。

伊東飯島さんも、印象に残っていることがたくさんありそうですよね。

飯島私は観測技術員時代に、オーストラリアのオントンジャワ海台に行って岩石の採取に成功したこと。 その採取に使う装置、私が就職浪人時代に「海底の様子が観れる採泥器が作れたらな」とアイデアだけ持っていたのを、みんなで実際に形にしてみたものだったんです。

貝野ああ! 噂に聞いてます、「さつき号」って名前がついた装置ですよね!

飯島そう、それです(笑)。 オントンジャワ海台って岩面がツルツルしていて、なかなかサンプルが採れない場所で。 もともと海底を観る目的で採泥器にカメラを取り付けたんですが、思いのほか採泥自体にも活用できて、たくさんサンプルが採れたんです。 今では、あの日の「初号機」がたくさんの人の手で改良を加えられて、いろんな機関で使ってもらっているみたいです。 シンプルなアイデアで多くの人の役に立てるものが生み出せた体験がとても良かったなと思います。

伊東アイデアを持っている人なら職種にとらわれず挑戦させてくれるし、しかも成功するまでみんなが手を貸してくれる。 そういう環境があるって、すごくいいなと思います。

幕はもう開かれた!
三者三様、次なる探求。

飯島お二人とも、海上勤務からキャリアを始めて今は陸上に移られましたよね。

伊東はい。 「何ヶ月も船に乗って、降りたらまとめて休む」という元々憧れていた生活ではなくなりました(笑)。 でも今は、陸上で海務監督になって、船の運航というものを俯瞰的にみることができるようになった気がします。 この広がった視野を活かして、船単位ではなく、組織としてより体系的に育成をサポートできないか、もっと後輩から気軽に相談してもらうにはどうしたらいいかを日々考えています。

貝野船を経験してから陸に降りると、仕事の全体像が見えてきやすいですよね。 そこから自分の向き合う課題や使命を発掘するというのは私もまさに同じです。 船の不具合を修理するにしても、「これは早く対応してあげないと困るだろうな」とか、「こういう対応をした方が喜ばれそうだな」とか、現場にいたからこそ想像がつくんです。 今後も異動はあるとは思いますが、その度に視点を増やすことを心がけながら、自分らしい貢献を見つけていきたいと思っています。 飯島さんはこれからやりたいこと、ありますか?

飯島そうですね。 未来の潜水船を想像しながら、今の高い「安全性」に加えて、「より良い調査」や「快適性」を追求していきたいなと思っています。

貝野すごい。 ユーザーライクな潜水船に進化させていくんですね。

飯島ハード面だけじゃなく、「乗る人」のバリエーションも増えていけばいいなと思います。 私がパイロットになったことで女性の研究者たちがもっと深海に行ってみようと思ってくれたら嬉しいですし、女性に限らず「内径2メートルに8時間閉じ込められる状況」に抵抗のあった研究者も、快適性が上がれば乗ってみようと思えるかな? と。 私、ずっと思ってたんです。 今までいろんな事情で深海に行けなかった人が、その目で深海を直接見たらどんな見解を示すんだろう? どんな発見をするんだろう? って。 もしかしたらその人が、がんの特効薬の成分を持った深海生物を見つけていたかもしれないじゃないですか。

伊東そうか。 誰かが「行けない」「行きづらい」ことで、その分野の研究や発見が止まっていた可能性はありますよね。 本来はたくさんの目が深海に行って、たくさんの見解が生まれた方がいい。

飯島はい。 私がこの仕事に就いた以上、そこを頑張っていきたいなと思っています。

貝野それぞれの人にしかできない仕事があるんだなって、今日話していて思いました。 しかもチャンスを与えられるだけじゃなくて、自分で見出していけるし、応援し合える。 それがNMEなんですよね。

伊東私もとても刺激を受けました。 お互いにいろんな探求を続けていきましょう!

PROFILEプロフィール

飯島 さつきSatsuki Ijima

2015年4月入社。 観測技術員として2年間研究航海の支援員を務めたのちに、深海技術部に異動。 トレーニングを積み、日本人女性初の有人潜水艇パイロットになる。 原体験は、子どもの頃に訪れた沖縄。 写真で見た景色とは全然違った驚きから、「何事も自分の目で実物を見ないと」と思った。 仕事観は「挑戦」。

伊東 裕紀Yuki Ito

2016年4月入社。 三等航海士として「よこすか」「かいれい」など各船で経験を積み、2019年に「かいめい」にて初めて二等航海士として乗船。 2022年3月、本社勤務開始。 現在は「新青丸」の海務監督をしている。 原点は「乗り物好き」で、二十歳を超えたらすぐにバイクの免許を取り、翌年北海道を一周した。 仕事観は「調和(またはコミュニケーション)」。

貝野 潤華Yuna Kaino

2016年10月入社。 機関士として「よこすか」「かいれい」などさまざまな船で勤務。 2023年2月に本社に異動、現在は船舶技術部で工務監督補佐として各船の機器の不具合や故障・損傷等に対するメーカー対応、造船所工事の調整・部品調達などにあたっている。 幼い頃から自然や星空が好きで、ナショナルジオグラフィックなどを見ては「絶対に行ってやる」と思っていた。 仕事観は「ロマン」。