海洋調査で培ったスキルを、
地球の課題解決に活かす。
南極地域観測隊(JARE)
支援プロジェクト。JARE Supporting Project
特定の国の領土に属さず、
南極条約のもとでそれぞれの国による調査が実施される南極大陸。
そこで取れる、またはそこでしか取れない様々なデータは、
温暖化や気候変動など地球全体の課題にインパクトを及ぼすとても大きな意義を持ちます。
一方で、調査環境の厳しさから、
いまだ南極のほとんどの地点が観測・研究できていないとも言われています。
ここではNMEの社員がその南極調査に10年以上にわたって参加し、
観測を支援してきた様子をご紹介します。
#1プロジェクト参加の背景
日本の南極地域観測隊、通称JAREの編隊は大きくふたつに分かれます。 ひとつ目は、日本が所有する昭和基地の維持・管理を行いながら、気象観測を初めとする様々な観測を行うため1年6か月という長期間南極にとどまる「越冬隊」。 それに対し、夏の期間だけ南極を訪れ、南極での観測や昭和基地の設営作業を行う「夏隊」。 NMEはこの「夏隊」に毎年一人の社員を派遣してきました。
NMEの社員に最初に声がかかったのは2009年※。 南極観測船「しらせ」のリニューアルにともない、それまでになかった観測装置が船につき、新たな海洋観測が展開されるようになったのがきっかけでした。
従来のJAREは南極到着後の大陸での調査がメインでした。 しかしこの「しらせ」の観測機器充実を契機に、行き帰りの船上でおこなう海洋調査(海底地形、重力、磁力などの調査)にも重点が置かれ始めます。 海洋調査はまさにNMEの専門です。 特に、新設されたマルチビーム音響測深装置に関して、南極観測を主導する国立極地研究所はそれを扱える隊員の派遣調整に苦慮され、「NMEの観測技術員ならこれを扱えるのではないか」という期待を持たれての打診でした。 かくして我々は、海洋調査のプロフェッショナルとしてその分野で初めてアサインされた民間企業となったのです。
※2009年~2015年は業務譲渡元の株式会社グルーバルオーシャンディベロップメント時代
#2立ち上げ、トラブル、そして継承
大きな期待とプレッシャーがかかる初年度。 洋上での高精度なデータの採取は、序盤から荒波に揉まれることとなります。
初代隊員として選ばれたのは、当時まだ入社3年目の社員、永木晴美。
それまで海洋地球研究船「みらい」(JAMSTEC)に乗っていた永木は、「しらせ」に新設された機械類とほぼ同じものを扱っていた経験があり、トラブル対応にも定評がありました。 しかし、いざ「しらせ」に乗り機械を動かすと、未知の不具合やバグが次々に発生。 すでに観測が始まっているにもかかわらずデータが取れないという事態に陥ります。 陸にいる先輩たちにも容易に連絡がつかない状況下で講じたのは、「その場にあるものを流用して合わせ込んでみる」という極めてアナログなトライアンドエラー。 昼夜問わずマニュアルを読み込み、壊れた機械の部品まで利用しながら様々な修理を試みるうち、なんとかデータの取得に成功。 永木はその後も3年連続でJARE隊員に抜擢されることとなります。
永木の跡を継いだのは徳長航。 徳長も2年連続の抜擢となりましたが、2年目の帰りの運航途中に「しらせ」が座礁するという事件が起きます。 徳長は海上保安庁の隊員と協力して座礁からの脱出に尽力するも、この座礁によりマルチビーム音響測深装置は大破。 その翌年以降、マルチビームによる海洋調査はしばらく停止することとなります。
マルチビームの復活までには、徳長の代から6年を要します。 その記念すべき61次隊は、JAREの歴史始まって以来の「海洋観測を重点的におこなう回」となりました。 目玉は、東南極最大級の氷河であるトッテン氷河の集中観測。 派遣された久野光輝は、氷河下の海底堆積物のサンプリングや機器のメンテナンス、氷河上に設置した観測装置のデータ吸い上げなどに奔走。 時には自身の体にロープをつけて十分に安全を確保した上で氷河に踏み込み、雪に埋まった観測装置をスコップで掘り起こすこともありました。
このように、年ごとにミッションは多少違いますが、共通するのは不自由な環境・不測の事態。 それに対して現場でどのように粘り強く工夫し、継続してデータを採取・提供できるか。 当初は「高精度のデータ提供」だけを期待されて始まったNMEのJARE支援は、いつしかこうした現場の体験談や知恵を、技術とともに何十年と蓄積し、継承していくことにも意義を広げてきたのです。
#3思わぬ効果と発見
同時に、社内的にも思わぬ効果があらわれます。 それは、単純な観測技術の向上にとどまらず、参加した社員たちが一人の人間としての胆力を底上げしながら、社外から見た自分たちの総合的なスキルを客観視し、自信をつけるきっかけとなったということです。
JAREの隊員は、研究者、企業、自衛隊など様々な立場の人で組成されます。 その中で海洋調査を目的としているのはNMEをはじめごくわずか。 時には目的同士が対立する中で、相手の懐に飛び込んで話をする必要も出てきます。
永木: 「たとえば、自衛隊の目的は、安全に船を動かし、スケジュール通りに接岸することです。 その自衛隊に、“海底圧力計を設置したいから少し船を止めて欲しい”とか、“もう少し船をあちらに寄せて欲しい”など、言いにくい交渉をする力は相当に磨かれました」
久野: 「南極につけば、限られた人数と時間の中でみなが集中して作業をするため、自分の専門性を超えて協力し合います。 たとえば医療隊員がペンキを塗ったり、調理隊員がコンクリのプラント長になったりということも。 何もかもを、全員で協力しておこなう。 あの経験は印象的でした」
通常の業務ではなかなか得られない、ある種の他流試合経験の積み重なりが、NMEの技術がもっと広い世界で活用される可能性に思いを巡らせるきっかけにもなりつつあります。
徳長: 「たとえば、使う人がいないから使われていない、手が回らなくてメンテナンスもされていない観測機械は日本中にたくさんあるのではないでしょうか。 そうしたものを私たちがサポートすることで、機器の扱い方が伝承され、データも活用していけるとしたら、それはまた新たな価値になるのではと考えています」
あちこちで眠っている観測機械やデータという「宝」を今度は見つけに。 NMEの冒険は、まだまだ続きます。
Profileお話を聞いた人
永木 晴美Harumi Nagaki
2016年入社(業務譲渡元2007年入社)。 「みらい」観測技術員として気象海象地球物理観測機器のオペレーションに携わったのち、入社3年目でJAREの隊員となり3年連続で南極観測を支援(第51次〜53次)。 昼夜を問わずのトラブル対応・現場での試行錯誤が評価され、NMEのJARE支援が継続する端緒を開いた。 現在は船舶取得データの処理・公開作業に従事。
徳長 航Wataru Tokunaga
2016年入社(業務譲渡元2000年入社)。 「みらい」観測技術員・品質評価員として働いたのち、永木の跡をついで第54次・第55次JARE隊員に。 「しらせ」船上では海上保安庁隊員とともにマルチビーム音響測深装置による地形調査を24時間体制で実施し、昭和基地ではヘリコプターで様々な観測地点へ行って観測保守作業を行った。 第55次での「しらせ」座礁の際には離礁にも貢献。 現在は「みらい」の観測技術員をしながら海底地形データ処理業務にも従事している。
久野 光輝Mitsuteru Kuno
2007年入社。 MCS(人工震源を用いた海底下構造探査)の観測技術員、深海支援調査(ROV、しんかい6500、曳航体等の各種機器を用いた調査航海の支援)の観測技術員として経験を重ねたのち、第61次・第62次JARE隊員に。 トッテン氷河沖合での調査等に尽力した。 現在は調査事業部海洋調査部環境調査室に所属して、河川における金属物等の探査業務に就いている。